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★★ 同時多発疾患=がんでした ★★
2020年01月19日

前のコラム「同時多発疾患」を書いたが、その後、眼瞼、喉、耳の症状はどんどん悪化していった。一番目立つ眼瞼について、眼科開業医に通っていたが、もらった目薬や軟膏はまったく効かず、医者は「切るしかないですね」、と近くにある総合病院に紹介状を書いてくれた。翌日その病院に行って診察を受けたが、当日は病状を写真撮影して、しばらく待合室で待たされた。おそらくその間に撮影した写真で別の医師と相談したようだった。そして、年末だったので年を越して1月6日に専門の医師が東京の大学病院から来られるので、その医師の診察を受けてくださいということになり、何の処置もなく年を越すことになった。てっきり当日切除してもらってスッキリして正月を迎えられるものと思っていたのであるが全くの見当違いであった。

 暮れから指定された診察日までの11日間に眼瞼、喉、耳の症状はますます悪化し、特に耳の聞こえ方は1日ごとに変わっていくのが分かるほどであった。正月にはどうやら中耳に液体があるように思えるようになり、頭の上げ下げで聞こえ方がはっきり変わる症状も出たのだ。10日ほど前に「異常ありません」という診断をしてくれた耳鼻科へ行こうにも正月休みで行けないのだ。

 1月6日に大学病院の医師の診断を受けたところ、どうも難しいらしく、がんの可能性があるとのことで、東京の大学病院で検査等進めて行きましょうということになった。その時に実は耳と喉にも異常があることを伝えたところ、「それでは耳鼻咽喉科に紹介状を書きましょう」ということで、当日、耳鼻咽喉科の診察と検査も受けた。その結果は上咽頭にがんらしきものがあり、それが耳管を塞いでいるため、耳に水が溜まって聞こえにくくなっているということであった。正に自覚症状と同じであった。耳鼻咽喉科の医師も眼科と同じ大学病院から派遣された医師で、眼科と耳鼻咽喉科で病院が異なると大変だろうからと、その翌日に東京の大学病院で診察・検査を受けることになり、眼科と耳鼻咽喉科の2通の紹介状を持って、東京の大学病院へ行った。

 大学病院で診察・検査が進行中であるが、眼瞼、喉ともがんであることはほぼ明らかになったのだ。進行の速さからみて悪性である可能性は高いが、最終的には組織の一部を採取して生検の結果を待つことになる。喉については当日に採取されたが、眼瞼は翌週に手術で採取することになった。また他への転移も考えられるので、血液検査、CT検査、MRI検査、エコー検査、呼吸機能検査、胃カメラ検査も受けることになる。

 今回の同時多発疾患の元凶は何だったのか、振り返ってみると、大元はどうやら喉にあるらしい。喉は耳や眼に近く、耳管や鼻涙管で繋がっているし、血管も共通のようなので他への影響も出やすいのだ。その喉であるが、以前(2011年)鼻から入れる胃カメラ検査で、左の鼻の穴から入らず右の鼻の穴に変えたことがあった。もしかしたら、当時から左の喉に炎症があったようだ。花粉症なのでその影響だろうと思っていたのであるが、どうやらそれが元のようだ。それが75歳という高齢者になったところで何かのきっかけで免疫力が低下し、一気にがん化したのであろう。

 がんは自覚症状が無いのも怖いのだ。症状が出たきっかけは歯痛であった。歯は何ともなく結局は上咽頭がんの影響だったのだ。喉そのものはちょっと違和感があるだけだった。次に出た症状はものもらいだったのだが、これも痛くもかゆくもなかった。難聴になったのは上咽頭がんが急速に進行して耳管を塞いだために耳に水が溜まって聞こえなくなったのである。その大元の喉は現在もちょっと違和感があるだけである。

さあ、これからがんとの闘いが始まるのだが、体がだるいとか疲れやすいということも無いので大病という気がしない。瞼のできものと、難聴がうっとおしいだけである。出来るだけ体力を付けておいた方が良さそうなので、カメラを持ってのウォーキングなどの日課は続けるようにしている。

若かった頃、会社の研修会で人生のシナリオを作ったことがあるが、そのシナリオでは75歳で死ぬことにしていた。従って、思い残すことは無いのだが、遺族が困ることが無いよう、やれることはやっておくことにした。まずは遺言書の作成、遺影の撮影、インターネットにおけるID・パスワードを整理記録し、息子に伝えておいた。早かれ遅かれいずれは死ぬことになるので、今回のがんはこれらをやっておくきっかけを作ってくれたのだという事であろう。

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