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★★ 今の音楽俺には合わない ★★ 2006年01月29日

 筆者は元々音楽が趣味の1つであった。音楽を聴くだけでなく、クラシックギターやマンドリン演奏もやったものである。ところが、ここ30年くらい音楽を楽しむということが殆ど無くなった。20代の頃はオーディオが流行ったこともあり、そこそこ高価なアンプやスピーカーを買って音楽を聴いたものである。これらはとっくの昔に壊れて廃棄したままで、後継機は買っていない。この間に音楽のメディアは変遷し、LPレコード→カセットテープ→CD→フラッシュメモリー・ハードディスクとなった。

 なぜ筆者が音楽を楽しまなくなったのかと考えてみると、歳のせいとか仕事が忙しかったということもあるが、流行(はやり)の音楽では楽しめなくなったということである。筆者が最も音楽を楽しんだのは40年くらい前で、いわゆるポピュラーと呼ばれた分野である。ロシア民謡とか当時の映画音楽を受験勉強しながらBGMとして聴いたものである。ところが、最近テレビやラジオで流れてくる音楽はどれもこれもドン・シャカ・ドン・シャカというリズム偏重のものばかりである。何年か前にコンサートに行ってみた。席の位置も悪く、ホールの端に近い席であったせいもあるが、大音量の音が歪んで不快感さえ覚えて殆ど耳を塞いで終了を待ったという経験がある。コンサートに生の音を聴くつもりで行ったのに、スピーカーの音を聴かされ、耳がおかしくなるような大音量、それも左右スピーカーからの距離が違う席のため、歪んでしまったのである。それならイヤホンでCDを聴く方がよっぽど良かったということである。

 音楽の3要素はメロディ、リズム、ハーモニーであると習った。

 ところが、最近の音楽はリズム偏重で、メロディーはいい加減でボーカルが叫び声を出しているだけ、ハーモニーは不協和音ばかり。そんな音楽がはやっているのである。大昔の楽器の無かった時代に、木や竹を叩きながら歌って踊ったのもリズム偏重であったであろうが、それでは飽き足らずに音楽が進歩し、楽器が発明されて、メロディ・リズム・ハーモニーの調和のとれた音楽として完成されてきたはずである。今のはやりの音楽は我々年代(筆者だけかも知れないが)にはとても受け入れられないのだ。

 芸術と呼ばれる分野では、発展過程のどこかで、その分野の権威者の意見に引きずられる時期があるようである。絵画の分野でも、我々が見て「いったいこの絵のどこがいいの?」というような絵が『最優秀賞』などを得て展覧会に飾られていたりする。すなわちその道の権威者が良いといえば良いのだという時期が存在するのである。芸術の世界では楽しみたいと思う大勢の人が美しいとか心地よいと感じる作品が本当に優れた作品であるはずである。

 音楽の世界でも同じで、聴く目的にも依るが、大勢の人が聴いて良いと感じる曲が良いのである。静かにこころを癒したいなら美しい曲、ドンチャン騒ぎたいならリズム偏重の曲もよいだろう。人気があって売れたCDの枚数の多い曲が本当によい曲かどうか、テレビ局やその筋の権威者が取り上げて囃し立てた曲が売れているだけかも知れない。デジタル化された音楽は劣化しないので1度買えば、同じ曲を買い直す必要はなく何度でも聴ける。本当に良い曲とは聴きたいと思って聴く頻度の高い曲である。無理やり聴かされた回数や売れたCDの枚数で評価するのはもはや間違いであろう。テレビやラジオで流す音楽の選択基準はそろそろ見直し、大量退職する団塊の世代が楽しめる音楽を多く提供していただきたいものである。

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