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★★ なぜ野草の花なのか ★★ 2005年04月16日

 筆者は写真を趣味としている他の多くの人と同様、自然を題材にした写真を撮っている。写真にはポートレートや街角スナップなどもあるが、自然相手なら、肖像権を云々されることもないので気楽でよい。山や野原の自然の中を歩くのが好きなので、一石二鳥である。撮る対象は風景であったり、野鳥であったり、昆虫であったり、野草の花であったり、自分でもまだ対象が定まっておらず、何でも撮っている。風景を撮るにはそこそこ景色の良い所へ行かなければならないので、交通費や宿泊費がかかる。野鳥を撮るにはデジスコセットなど重く嵩張る機材を持ち運ばねばならない。だけど野草の花は近くの公園や河川敷や土手で、マクロレンズを付けたカメラだけを持って、自転車でも撮りに行けるので、特にこの春先は野草の花を撮りに行くことが多くなった。単に横着になっただけかも知れないのだが。

 ただ、花を撮るなら花壇の花や花屋さんで売っている花の方がはるかにきれいで、整っているので、きれいに撮れる。思い通りの光や背景の位置に移動もできる。ところが野草だと、なかなか背景が思い通りにならない。落ち葉や小枝がゴチャゴチャしてうるさい。中途半端な光の射し方である。虫食い跡がある。アブラムシが真っ黒に枝を覆っていることもある。蜘蛛の糸が付いている。すぐ傍に不法投棄のゴミがある。だから野草の花をきれいに撮影するのは花壇の花を写すよりずーと難しいのだ。なのになぜ野草なのかというと、野草の方が自然っぽいから、そしてちょっと難しいものへの挑戦欲もあるかも知れない。野山を歩きながら撮れるのもよい。手入れが行届いた温室育ちの花より厳しい環境で必死に生き延び繁殖しようとして花を咲かせている野草がよい。一般に野草は小さな花が多い。ゴマ粒大の小さな小さな花も大きく撮って見ればなかなかきれいなものであり、新しい発見もある。この写真はスズメノエンドウ。カラスノエンドウはよく知られているが、どこにでも咲いているありふれた花だが、こちらは小さ過ぎるためか見過ごされている。写真で見るとカラスノエンドウと同じような形の清楚な花だ。

 野山を歩いていて、見つけた花の名前やその花についての話題、珍しさの度合いなどが判れば野山歩きの楽しさが倍増するものである。初めて見る花があれば、後で名前を調べるなど、ボケ予防にも役立つかも知れない。

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