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★★ 懐かしのレンゲ畑 ★★ 2005年04月12日

 春の野草の花の写真を撮る為にさいたま市の見沼たんぼをカメラを持って歩いてみた。用水路脇は桜並木になっており、丁度満開でここを散策している人も多い。この日は南風で桜の時期としては珍しく歩いていると汗ばむくらい暑かった。今年は急に暖かくなったせいか、木の花も草の花も一斉に開花し、周り一面花・花・花である。ここを歩いて多い草花は、ナズナ、タネツケバナ、オオイヌノフグリ、タンポポ、ホトケノザ、ハルジオン、ノゲシで、道端にびっしり咲いている。これらの花は既に別の場所で何度も撮影しているので、その他の花がないかと探しながら歩いた。
 そして、ふと見つけたのがゲンゲで、狭い範囲であるが、何ヶ所かに咲いていた。懐かしい花である。『ゲンゲ』という名は標準和名であるが、筆者は小さい頃からずーっと『レンゲ』と認識しており、インターネットで検索するようになって初めて『ゲンゲ』が標準和名であってこれが訛って『レンゲ』となったとか、『蓮華』に似ているからであることを知った次第である。

 ゲンゲを懐かしい花と思うのはおそらく50代以上の人であろう。筆者が小学生の頃、春の桜の季節に弁当を持って、1時間ほど田んぼ道を歩いて桜の多かった小高い岡に学校行事で遠足に行ったものである。行く途中の道端には色んな草花が咲いており、蝶などの昆虫も多く自然学習そのものであった。そんな中、何よりも壮観であったのが『レンゲ畑』や『クローバ畑』(シロツメクサ)であった。辺りの田んぼはどこもレンゲ畑やクローバ畑でピンクや白の絨毯状であり、これを摘んでリング状に編み冠や首飾りにして遊んだものである。

 当時何故『レンゲ畑』や『クローバ畑』にしていたかというと、これらはマメ科であり、根粒バクテリアが空中窒素を固定するので、これらを鋤き込めば、田植えを控えて天然の窒素肥料になったのである。さらに、蜜蜂の良質の蜜源にもなっていた。これらはこの遠足での自然学習を通じて学び、筆者は今でもしっかり覚えている。春の風物詩となっていたのである。

これが、化学肥料の台頭で一気に無くなってしまった。同時に強力な農薬も使われるようになり、当時小学生の筆者達にも田んぼには近付かないようにとの注意が出るようになってしまった。農薬が散布された田んぼには赤旗が立てられたものである。これで春の風物詩は激変し、田んぼは田植えの時期まで汚い土色のまま、昆虫も居なくなり、鮒やメダカも居なくなってしまったのだ。

 シロツメクサは空き地にもかなり残っているが、なぜかゲンゲは殆ど残っていない。ようやく見つけたゲンゲにノスタルジア(nostalgia)を感じたのであるが、さらに歩いていると、次の一角は草が枯れ色になっていた。除草剤が撒かれているようである。

 人類は化学合成という知恵を得た時、愚かにもこれを使って自然に立ち向かおうとしたが、ことごとく打ち破れ、自らが残留農薬などの被害に遭ったり農作物の栄養価が低下していることにようやく気付いてきた。さらに科学が進歩した今では、自然に学んで自然を利用した方法をとるようになってきつつある。再びゲンゲのピンクの絨毯が春の風物詩に復帰するのを期待する。

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