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★★ 隣のトトロとオヤジ ★★ 2005年04月03日

 4月1日に新大阪〜東京の新幹線に乗ったら、名古屋で半分以上の人が降り、またどっと乗り込んできて、また満席状態になった。小学生の子供も多い。そういえば、今、愛知万博『愛・地球博』をやっているんだ。春休みだから小学生が多いのだ。と、納得。

 そういえば、万博の紹介で、アニメ「隣のトトロ」の主人公サツキとメイの家が、アニメそのままに作られているとかが話題になった。トトロそのものはいかにもアニメらしい架空の生物というか、心の中の生き物であるが、このアニメに出てくるあらゆる場面が、筆者の子供の頃そのままで、見ていて懐かしさがこみ上げてくるのである。作者の宮崎駿は育った年代が筆者とほぼ同じ、今のオヤジ達は皆同じような懐かしさを感じながら、子供と一緒にこの「隣のトトロ」を観賞したのであろう。

 筆者が特に懐かしさを覚えたのは、例の家もそうであるが、雨の中お父さんをバス停まで迎えに行ったが、最初に来たバスにはお父さんは乗っておらず、そのまま待っていると、こんどはネコバスが来るというシーンだ。筆者も子供の頃何度か傘と懐中電灯を持って、親父を迎えに行ったものである。筆者の場合は電車の駅であるが、田舎の小さな駅なので、改札の外には屋根もなく、まさにサツキとメイのように傘をさして、裸電球1個の灯る一角だけが見え、その先は真っ暗の中で待っていたのである。当時月夜でない限り懐中電灯などの明かりも不可欠だったのだ。今は例え山の中でも遠くの街明かりで空が明るく、何とか足元が見えるが、当時雨の夜なんかは真っ暗で足元も見えず、水溜りに踏み込んだり、横の水路に落ちてしまう危険性もあったのだ。家族が傘を持たずに出かけて、帰宅時間が雨になった場合には、どこの家でも家族の誰かが、傘と明かりを持って迎えに行ったものである。一般家庭に電話なんて無かった時代なので、帰るコールに合わせた時間に行くなんてこともできない。いつもの帰宅時間より少し早めに行って、数本の電車を待つのである。数本と言っても今の山手線ではありません。確か30分に1本程度だったと思う。1時間は待たなければならなかったのだ。

 今思えば、「親父なんて濡れて帰ればいいじゃん」ってところだろうが、当時はそうではなく、お父さんは偉い存在だったのだ。夕食のおかずの品数が1品多かったなんて今の人には信じられないだろう。隣のトトロを見て懐かしく思うオヤジ達はなにかこの辺の悲哀を感じるからではないだろうか。

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