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★★ 花まつり ★★ 2005年03月19日

 3月も春分の日あたりになるとすっかり春らしくなる。暦の立春ではまだまだ寒く、春という感じはないが、春分の日は正に春になったということを実感できる。花や虫は皆待ちわびたかのように一斉に出てくる。やはりわくわくする楽しい季節である(杉花粉さえなければ・・・)。

 自然を楽しむ者にとっても、梅や桜が咲き、足元でも色んな野草が花を付けており、見に行ったり、写真に撮ったりで忙しくなる。近年はそのような花を楽しむ人が多くなり、あちらこちらで花の名所ができてきて、観光で稼ごうと梅まつり、福寿草まつり、桜まつり、・・・とどこもかしこも『まつり』だらけになる。

 筆者も『まつり』に引かれてあちらこちら出掛けるのであるが、どこでもそれなりに花はきれいに咲いており楽しめるといえば楽しめる。しかし、筆者は最近写真を撮るようになって、気になることがある。これら花の名所で『たくさん花が咲いている壮観さ』を撮ってみようと広い範囲を撮影しようとすると、必ず見苦しい人工物が入ってしまうのである。まつりの提灯程度ならまあ風情があって良いのだが、それに明かりをともすための電線や臨時の角材製電柱は後で写真を見ると見苦しくてたまらない。見ていると、それだけではない。民家のある場所だと、電柱や電線、高圧線の鉄塔があったりする。そして、人が入り込まないようにと杭が打たれ、虎ロープが張り巡らされている。まったく雰囲気に合わない広告入りのベンチがある。売店のきたない小屋があり、「ソフトクリーム」などと書いた旗が立っている。提灯があるのに、背の高い水銀灯の街路灯支柱が立っている。花畑の中にはスプリンクラーのノズルがあちらこちらにある。「立ち入るな」との大きな手書き看板がある。作業用のショベルカーがある。 廃材が積まれ、ブルーシートがかけてある。

 観光で人を集めて稼ごうとするのに、なぜもっと景観に気を遣わないのか疑問に思うのである。人間の目はずいぶん都合の良いようにできており、見たくないものは、たとえ目に入っていても見えないようになっているのである。たくさんの花を見れば、おば様方は「わーきれい」と感嘆の声を発するのである。たとえ、目の前に電線が横切っていても、看板が立っていても、それは無視して見ているのである。これはどうやら日常の習慣からそのようにする訓練がなされているのであろう。我々日本人は日常電柱や蜘蛛の巣状の電線、看板だらけの中で生活しているので、それらがあって当たり前として容認してしまって、存在しても見ない習性ができあがってしまっているのである。だから、肉眼で見て「わーきれい」と感嘆するが、写真に撮って、後でその写真を見ると、「なーんだ、こんなところに電線が写ってる」とがっかりするのである。もともとすっきりした環境に住んでいる外国人が来ると、「こんな景色のどこがいいの?」とがっかりすることでしょう。こんな状態では外国の観光客を増やそうなんて考えても無理ですね。

 花の名所の企画担当者様にいいたい。「花の名所をうたうなら、広い範囲を見渡して、見苦しいものはすべて取り除いていただきたい」。宣伝用写真では、プロが意識して見苦しいものを入れないように、観光客が入れない場所から撮影したものが使われているものが多く、騙していることにならないか。通常観光客が通る遊歩道から客の目線で見苦しいものがないかを、写真を撮って点検していただきたいものである。

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