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★★ 戦後還暦 ★★ 2005年03月12日

 広島で姪の結婚式があり、前日広島入りし、泊ったホテルが平和公園の近くであったので、平和公園へ行ってみた。広島は過去何度か来ているが、平和公園を訪れるのは40年振りである。前回も原爆資料館を見学したのであるが、今回も見学終了時間ぎりぎりで見学してきた。資料館は以前より大きくなっていた。

 原爆資料館の展示物は原爆の恐ろしさを後世に伝えるものであり、焼け野原になった広島の街や全身火傷を負った被害者の写真や遺留品が展示され、また熱線や放射線の恐ろしさが解説されているのである。普通なら驚くような資料を見れば大声で「わー」とか「すごい」とか声を出すのであるが、ここを見学する人達は他所の資料館とは全く違う雰囲気の中で見学していた。大勢の見学者が居たが、ここでは皆が黙々と展示品を見、説明文を読んでいた。話す時も声を潜めていた。爆心地で一瞬にして亡くなった人々、熱線で大火傷をして苦しみながら亡くなった人々、放射線による後遺症で苦しんで亡くなった人々、その年だけで14万人、その後も含めた犠牲者は36万人とのこと。犠牲者の無念さを考えると目頭が熱くなる。「まもなく閉館です」という係り員の声だけが大きく聞こえてきた。

 世界遺産に指定された原爆ドームはかっては辛うじて残った残骸という感じであったのが、倒壊を防ぐための修復がなされたらしく鉄骨は錆止めが施され、レンガの煤も少なく、何か新しく建設された記念碑のような感じがした。

 今年は戦後60年という特に太陰暦では還暦という節目になり意義深い年である。戦後○○年というのがそのまま筆者の年齢であり、ボケても戦後何年?と聞けば歳がわかるのである。戦中に生まれた筆者は戦争を知らない。還暦という節目を迎えた今はもう戦争を知っている人が僅かになってしまったことを意味するのであるが、我々世代は実際に体験した親から戦争のありさまを伝えられたものの、我々は子に戦争を伝えることはなかった。かっての戦争が何であったのか伝えられるのはこのような資料だけになってしまうように思える。東京空襲でも10万人もの人が犠牲になり、東京は広島同様の焼け野原になったという。核だけが恐ろしいのではなく、戦争、テロ、人を殺したり傷付けることすべてが恐ろしく、あってはならないのである。なのに、核兵器だけを恐れて、それを理由に戦争を起こす愚かな人間がいるのであるが、彼らは戦争の本当の悲惨さや愚かさを知らないのであろう。単に過去の歴史の1ページとして捉えているに過ぎない。資料館の感想ノートに「You deserved it」(ざまあみろ)と書いたアメリカ人がいたとか。その人の家族がこの戦争の犠牲になったのかも知れないが、原爆資料館の資料を見るすべての人が戦争を反省するとは限らないのだ。

 人間は愚かなもので、過去のあやまちを一生懸命資料や記録に残したとしても、体験者がいなくなるころには再び同じあやまちを犯すものである。どこの国も競って核兵器を持とうとしている昨今、戦後還暦を迎えたこれからが問題になりそうだ。SF映画にあったような核戦争による地球絶滅は避けたいものである。

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