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★★ 暇と金は儘ならず ★★ 2005年02月20日

 筆者が学生であった時(昭和38〜42年)、あまり勉強はしなかったので、そこそこ暇はあった。クラブ活動はワンダーフォーゲル部とマンドリンクラブと欲張って2つのクラブに所属しており、クラブ活動のために大学に通っていたきらいもあった。だが、現代の学生のようにすぐにアルバイトが見つかるような時代ではなかったので、あまりアルバイトはしていない。特別奨学生で当時としては多目の奨学金をもらっており、公立大学で学費も僅かで、自宅からの通学であったので、奨学金の残りが小遣いにもなった。とは言っても、飲みに行ったり旅行に行ったりできる程の余裕があるわけではない。早くに親父を亡くした母子家庭であったので、親にせびることもできなかった。だから2つのクラブ活動で暇を潰したのである。旅行の代わりに春休み、夏休み、連休はワンダーフォーゲルの合宿である。山を歩いてテントに寝泊りするので、費用は現地までの学割鈍行列車の運賃だけである。たまに周遊券で急行列車に乗れた時は本当に嬉しく思ったものである。食費は米は自宅から持ってくるし野菜は八百屋で買って持って行き、1パーティー分を大なべで作るので、自宅の食事より安あがりであったはずだ。それ以外の暇な時間はマンドリン部の練習で潰した。自宅にいる時もかなりの時間ギターを抱えていたように思う。あの頃、もし金があれば、色んなもっともっと有意義な楽しい事ができたのではないかと思ったりするのである。

 大学を卒業して、東京の会社に就職したのであるが、給料は安かったとはいえ、会社の寮に入ったので、住居費は不要、3食付いて食費も天引、だから手取りの給料はいつ使い切っても生活には困らなかった。だから自由に遣える金はできたが、今度は暇が無くなった。春休みや夏休みは当然無い。当時は土曜日は平日であったし、忙しい時は日曜日に休日出勤を命じられることもあった。代休は滅多に取れない。有給休暇なんてとんでもないという時代であった。世は高度成長期であった。物価と伴に給料もそこそこ上がった。だけど暇はない。だから独身の時に独りで旅行に行ったことはない。行ったのは会社の慰安旅行だとか、正月休みのスキーぐらいであった。

 まったく世の中は儘ならないものである。『暇のある時金が無く、金のある時暇が無い』。それで、金が溜まったかというと、高度成長期のインフレで価値は無くなっていた。金ってその時々に遣っておくのが一番価値があるものなのである。筆者の今はどうかというと、暇は有るようで無いようで、金の余裕はやっぱり無いという状態である。デフレの現在、僅かしかない金だが遣った方が経済のためにも、自分のためにもいいのかも知れないが、不安な将来を考えると遣えない哀れな性(さが)の筆者である。今はやりのサラリーマン川柳風にいうと『暇と金同居する時ゃ墓の下』

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