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★★ 世界共通語 ★★ 2004年12月04日

 通勤ラジオを聴いていた時、「共通語」という言葉から「エスペラント語(esperanto)」というのが連想され、ふっと頭に浮かんだ。番組の内容そのものは「エスペラント語」とは何の関係も無いものだったが、私の古い記憶から頭に浮かんだ懐かしい言葉である。「エスペラント語」って最近全く耳にしなくなったが今はどうなっているのだろうと興味をもって調べてみた。私がなぜ「エスペラント語」というのを知っていたかというと、学校でそのような言語があると習ったような気がするのと、私の両親がかって教師をしており、母親は戦前〜戦中までキリスト教系女学校の教師をしていた。そのためか家に日本語−エスペラント語の辞書があった。それを見たことがあり、母親も世界平和のためにも有用な言語だと説いてくれたように思う。

 「エスペラント語って何なの?」と思われる方に、日本エスペラント学会のエスペラント解説を引用させていただきます。

 エスペラントは中立公平で学びやすい国際共通語です。

 エスペラントは民族の言語や文化をその歴史的遺産として尊重し、大切にすると同時に、それぞれの言語や文化の橋渡しの役目を果たすことを目的としています。

 現在、英語が事実上の国際語として使われている事実は否定できません。しかし、英語は特定の民族、国家の言葉です。英語でのコミュニケーションは英語を母語とする人々にとっては都合のよいことですが、外国語として勉強する必要のある人間にとっては不都合です。これは公正なことではありません。

エスペラントは1887年、当時ロシア領だったポーランドのユダヤ人眼科医 ザメンホフ(L.L. Zamenhof) が提案したものです。ヨーロッパ諸語の語彙を取り入れながら、文法を整理してあるので、比較的簡単に修得することができます。

 2回の世界大戦などの社会的な激動の中を、エスペラントの使用者 (エスペランティスト)たちは中立公平な国際共通語の実践を続けてきました。ヨーロッパが活動の最も盛んな地域ですが、アジア、アメリカ、オセアニアそしてアフリカなど世界各地にエスペランティストがいます。 東アジアでは日本の活動が有力ですが、韓国や中国にもしっかりした 活動があります。特に中国は出版が盛んですし、中国国際放送は毎晩 短波でエスペラント番組を放送しています。1982年に始まった日韓青年セミナーは1995年から中国を加えた3ヶ国の青年エスペランティストの 交流の場になりました。2002年には第21回日韓中青年セミナーが千葉県沼南町で開かれたように、3カ国回り持ちで会場が選ばれています。

 世界の多くの文学作品がエスペラントに翻訳されており、原作の文学も数多く 著されています。実用書や科学技術の専門書はそれに比べれば多くはありません が、碁や空手、マッサージ、料理から中国哲学、経済学、気象学、解剖学に いたる幅広い分野の本が出版されています。歌のテープやCDもあります。

 世界エスペラント大会が毎年開かれている(2002年フォルタレザ[ブラジル]、2003年エーテボリ[スウェーデン]、2004年北京[中国])ほか、大小さまざまな 会合が催され、通訳のいない国際会議が実現されています。

 日本では年一度の日本エスペラント大会(2002年福島市、2003年亀岡市[京都府]、2004年犬山市[愛知県])の他、5月の合宿形式のエスペラント・セミナー、 夏または秋の林間学校などが大きな行事です。

 日本のエスペラント運動は1906年の二葉亭四迷による学習書発行、第1回日本エスペラント大会の開催などで本格化して、2006年には百周年を迎えます。

(日本エスペラント学会のホームページ:http://www2s.biglobe.ne.jp/~jei/esperanto.html)

  これに補足させていただくと、「エスペラント」という名称は、これを提案したザメンホフのペンネームがエスペラント(希望する者)博士だったため、言語の名前になってしまったということである。発表時の本のタイトルが「エスペラント博士の国際語」であったので「国際語」と名づけられたのであろう。語彙等は、ヨーロッパの言語がもとになっている。使う文字はアルファベットに似た28文字となっておりアルファベート(alfabeto)と呼ばれる。接頭辞・接尾辞をつけることで、新しい単語を作るのも特徴で、語彙を増やすのは比較的簡単とのこと。

 ボリュームの大半が解説になってしまったが、現在は共通語のデファクトスタンダードが英語になってしまったというのは否めない。お互いに充分なコミュニケーションがとれて世界平和に繋がるなら、英語が共通語になっても構わないのだが、アメリカのような強国に言語を合わせようとしているというような不公平感は残る。だからエスペランティストが地道に活動しているのであろうが、共通語として普及するには、何か大きな転機が必要なようである。

 手話は表意が主体なので、世界共通かと思っていたら、そうではないらしい。言語同様にそれぞれの国で独自で生まれ進化してきたとのこと。耳は不自由でも文字は読めるのだから、その国の言語に応じた手話になるのも当然である。しかし、10〜20%は国が違っても共通だそうだ。

 コンピュータの世界では、発祥地がアメリカのため、プログラミング言語は英語系で共通語となっている。日本語のプログラミング言語が作られたりしているが、殆ど普及の兆しさえ見えない。まあ、ここまで共通化したのだから、今さら別言語を作って乱す必要もあるまいと思う。むしろ、プログラミング言語も同じ英語系とはいえ乱立しており、ハードウエアの進歩と伴に次々と新言語が生まれるのであるが、もうそろそろ統一されてもよいのではなかろうか。次々と新言語を覚えなければならないシステムエンジニアは大変である。この分野でも企業戦争という戦争の被害を被って共通化が難しいようである。

 世界平和が先なのか共通言語化が先なのか、目的は同じでも難しい問題のようである。

 EUが共通語としてエスペラント語を採用するかもしれないとのうわさもあるが果たして実現するのだろうか。

 共通言語化は難しいようであるが、この解決策とでもいう形で、コンピュータを使った翻訳がかなり進歩してきた。近い将来には、翻訳機をポケットに入れ、日本語でしゃべれば、スピーカーが相手の言葉でしゃべってくれ、相手のしゃべった言葉がイヤホンから日本語で聞けるようになるであろう。そうなれば、もう共通語は必要なくなってしまいそうである。もしかしたら、翻訳機の中で一旦共通語にしてから、相手の言葉に翻訳するという形で、文法が整理された「エスペラント語」が有用になるかも知れない。

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