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★★ 車は故障が無くて当たり前 ★★ 2004年11月20日

 今乗っている車は買ってからほぼ4年経ったが、一度も故障していない。その前に乗っていた車も9年間乗ったが、故障して修理に出したという記憶はない。ここ数年はボンネットを開く回数も月に1回あるかないかというほどで、開いてみてもどこも悪くないので何もしないで閉じるだけである。オイル類も減れば運転席に警告が出るようになっているが、警告も出たことはない。一応6ヶ月ごとの点検はきちっと出しているので、悪くなりそうな所は手当てされているのであろう。今や車は故障しないのが当たり前の時代だといえばそれまでだが、1万を超える部品で構成され、雨や泥や排気ガスの存在下で真夏の高温、真冬の低温といった過酷な環境にさらされても故障しないのである。故障して道路の脇に停まっている車は滅多に見かけない。

 昔、筆者の家で車を持ったのは42年前であったが、その頃の車はよく故障した。何よりもまず車で出発する際にエンジンがかかるかどうかが重大問題で、その時の気温によりチョークレバーの引き具合を加減し、アクセルペダルの踏み込みとセルモーターを回すタイミングの取り方次第でうまくエンジンがかかったりかからなかったりしたものである。かからないとなると、点火プラグをはずしてプラグに付いたカーボンをワイヤーブラシでこすって取ったりしなければならなかった。運転手は特殊技能者であったのである。その頃に筆者が実際体験した重大な故障例を挙げてみると、

1.新車を買って間もなくドライブに出かけたが、ギアがロー位置から抜けなくなってしまったことがある。発進はできるが、セカンドにシフトできない。ニュートラルにもできないので、止まったらクラッチを踏んでないといけない。現場近くの修理工場に持ち込んで、ピットに入れてトランスミッションのレバーをハンマーでたたいたりして抜こうとしたが、どうにも抜けなかった。諦めてとりあえずローのまま家に帰ろうと、走っていたら、何かの拍子に抜けてそれ以降はちゃんとギアチェンジができたのであるが、新車でギアの馴染みが不十分だったのであろう。そういえば、その頃は、新車を買ったら2000km程は馴染み運転をしなければならなかったのだ。

2.会社のトラックを運転していた時、いきなり背後に煙が出てエンストした。牽引してもらって、修理工場に持ち込んだのだが、エンジンのオイル圧センサーが壊れてオイルが霧状に噴出したのである。エンジンオイルが無くなってしまったので、エンジンは焼きつき寸前でストップしたのだ。これはオイルセンサーを交換してもらって何とか走れたが、数時間のロスで仕事はキャンセル。

3.これも会社のトラックであったが、出張で高速走行中にオルタネーター(発電機)の回転軸が焼きついてキーッというベルトの滑り音がした。パーキングエリアまで何とかたどり着いて非常電話をかけたが、部品がないので対応できないとのこと。しかたなくファンベルトをはずして走れるようにした。発電してくれないので、しばらく走るとバッテリーが無くなってストップした。修理工場を探したものの、既に夜も遅く修理できなかった。幸いにもエンジン発電機と変圧器、整流器を積んでいたので、この発電機を回し、バッテリーに充電しながら夜中も走って朝の約束の時間までに客先に到着。客先の馴染みの修理工場で修理してもらい、予定の仕事はできた。

 あの頃は、道路脇に故障して止まっている車も多かったように思う。
いつの間にか、「故障があって当たり前」の時代から、「故障が無くて当たり前」の時代に変わっていた。これはひとえに自動車メーカー、部品メーカーの努力にほかならない。こんな時代に、死に繋がるような重大欠陥車を製造し、ひた隠ししていた自動車メーカーがあったなんて信じられない。ここの経営者の頭は40年前のままであったのであろう。

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