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★★ グアムは日本? ★★ 2004年5月4日

 息子がグアムで結婚式をするということになり、4月17日から5日間グアムへ行ってきた。両家親兄弟が参加し、総勢12名の団体旅行となった。ただし、この内2名は幼児である。

 グアムは年中真夏で、サンゴ礁に囲まれ、ヤシの木が茂り、ブーゲンビリアやハイビスカスが咲く正に南国の楽園と言え、隣のサイパンと共に人気の高い観光地である。

 グアムへ行くことが決まって初めて知ったのであるが、グアムはハワイと同様でアメリカであった。しかし、ここはどう見ても日本である。ホテルの集中しているタモン地区では、看板は日本語、どこへ行っても日本語で通じるし、ホテルやレストラン、店をうろうろしているのは皆日本人であり、日本語でしゃべっている。色んなシステムも日本式である。我々日本人が外国旅行して気を遣うのにチップというのがあるが、ここのレストランは皆、伝票にサービス料10%込みとなっており、チップを置かなくても、レジで伝票通りの金額を支払えばOKで非常に気楽であった。ホテルで部屋のキーを受け取るのに、3801をアメリカ式に「thirtyeight-o-one」と言ったら「はっ?」と聞き返された。英語の発音が悪いのだが、相手も日本語で言うものと構えていたのであろう。「サンハチマルイチ」と言い換えたらバッチリ伝わった。

 今やグアムは観光が主要産業で、観光客としての相手は日本人である。もし、日本人がグアムへ行かなくなったら、グアムは壊滅状態になってしまうでしょう。観光関連の商品価格は日本並みか、現在デフレの日本から見てやや高めという感じがした。物価高の日本がそのままグアムに来ているのである。観光産業で日本人が経営しているのも多いようである。アメリカ人がわざわざ遠いグアムまで来る理由は無い。グアムに近いアジアの国々から観光客が来るには、あまりにも物価が高過ぎるのである。だから、日本人以外の観光客は韓国や台湾の金持ちだけに限られているようである。

 観光以外の産業があるのだろうか。あるのは軍事産業程度であろう。軍港や軍事用アンテナは見かけた。昔、日本が統治していた頃に稲作をやったそうであるが、行き帰りの飛行機から見ても、田畑らしきものは全く見つからない。ココス島観光でタモンから南端までバスで走ったが、道路から見えるのは、公園や学校、住宅や商店であり、工場らしきものも畑も見当たらない。

 2002年12月8日午後から9日早朝にかけてグアムを通過した超大型台風「ポンソナ」による被害はかなり大きかったらしく、電気、水道、ガソリンの供給が止まり、風上に面したホテルの窓ガラスが殆ど割れてしまうほどの被害だったそうだ。1年半経った今でも、台風で壊れた痕があちらこちらで見られた。しかし、観光が飯の種であるだけに、必死で復旧したらしく、11日後の12月20日には正式に観光客受入を再開している。

 結婚式もグアムの観光産業の目玉であろう。海岸べりの立地の良いホテルは皆、ガラス張りで海が見渡せるかっこいいチャペルを持ちグアムウエディングができるようになっており、毎日入れ替わり立ち代り挙式が行われていた。ちなみに息子の挙式のチャペルは家族席は両家左右に分かれる形でそれぞれ3列の椅子で、日本の式場の半分以下である。これを見ても100%日本人向けの式場と言える。両家家族だけで挙式するのであって、親戚や友人まで大勢参列してもらえないからである。数組の挙式を見かけたが、新郎新婦の二人だけとか、プラス親とかごく少人数の参列者であった。我が息子のケースで新郎新婦含めて12人というのは多い方であった。

 ショッピングも観光産業の主要な要素である。日本人は実によく土産を買う。グアムにしかないものというのは殆ど無く。すべて日本で入手できる。ブランドものバッグや衣類はせいぜい税金が免除される程度であり、決して安いとは言えない。土産の定番のチョコレートはハワイ土産と全く同じ。それでも大勢の日本人が買い物をしている。ホテルから店への足は無料のバス(一応旅行会社が準備してくれる「コンチャカード」を見せないといけない)が巡回しており、至れり尽くせりである。我々も近所の人にグアムへ行って来ると言ってきたため、一応「GUAM」の名の付いた土産を買い、帰りのスーツケースに納めるのに四苦八苦するはめになった次第である。

 どこへ行っても日本人は観光産業のよいお客様である。地球上どこへ行ってもこのような平和が楽しめるような世界になって欲しいものである。グアムは日本から3時間半、時差は1時間。国内旅行と変わらないのであるが、警備が厳しくなっており、行き帰り共、飛行機出発の3時間前には空港に入る必要があり、2倍の時間がかかっている。

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