HOME 戻る コラム一覧 山写真紀行

★★ 人は皆他者と同じ道を歩くものだ ★★ 2012年02月16日

 表題は何かの名言集に載っていそうな言葉だ。しかし、これは実験でも何でもない事実の結果である。貼付写真は筆者がウォーキングしている公園の道である。公園にはウォーキングやランニング、サイクリング用の広い舗装道路がある。ここを大勢の健康志向の人たちが歩いたり走ったりしているのであるが、どうゆうわけか舗装道路から外れた土の上を歩いたり走ったりする人も多いのだ。単純に考えると、アスファルト道路よりも土草の方がクッション性があるので膝や腰にやさしいであろうと土草の上を通るのであろうか。実は筆者もよくこの舗装道路から外れて歩くのである。理由はやはりアスファルトよりも自然に近く、クッション性があるからであるが、もう一つ靴底の磨耗がアスファルトよりも少ないからというミミッチイ理由もある。毎日1万歩以上も歩いていると、靴底は1年程度ですり減って穴が空いてしまうのだ。これが草の上だと倍くらいは長持ちする。

 話が脇に逸れたが、道の脇に逸れる話に戻る。写真を見て判るのだが、歩いた踏み跡がどういう訳か蛇行しているのである。アスファルト舗装された道路のすぐ脇を歩くのだから、道路から一定間隔で平行に踏み跡が付いてもよいはずなのだが、これが蛇行したり、道路からの間隔が広くなったり狭くなったりしているのである。ポールなどの障害物があって避けるのならわかるが、何も無い所でも蛇行している。この踏み跡は少人数が歩いただけではできない。殆ど全員がこの踏み跡どおりに蛇行して歩いていることになる。他人の跡を歩きたくない少々あまのじゃくな筆者はいつも道路から80cm程の等間隔を保って、道路が直線なら直線で歩くのであるが、1人が1日1回歩く程度では雑草の回復力の方が早いので全く踏み跡がつかないのだ。そして筆者も何も考えずに歩いているとピッタリ踏み跡の道を歩いているのである。

 では、なぜ殆ど全員が同じ場所を蛇行して歩くのだろうか?ということを、毎日歩く度に考えてみた。人は特に意識して歩かない限り、多少蛇行して歩くものである。起立した状態でも上体は静止しているのではなく少し揺れているものである。どちらかに倒れそうになると眼や平衡感覚器官が察知して元に戻そうとするので、微妙に前後や左右に揺れるのである。歩いている時も同様の揺れがあるので蛇行してしまうのだろう。もう一つの要因は地面の凹凸や傾きである。突起部があると次の一歩は反対側に逸れ易いし、傾きがあると低い方へ逸れ易いのである。脇道へ入る場所は大体ほぼ同じであり、ポールなどの障害物があると全員が同じように避けるので、結果として、ほぼ全員が同じように蛇行しながら歩くことになるのである。そして少し踏み跡が出来始めると、草の上よりも踏み跡の方が歩きやすいため益々ピッタリ同じ踏み跡を歩くようになる。そして出来上がったのが写真のような鮮明な蛇行した踏み跡なのである。

BACK