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★★ 赤ん坊の記憶 ★★ 2003年12月27日

 この秋、私にも孫が生まれた。遠方に住んでいる息子の子供なので、たまにしか会えない。その孫がたまにしか会わない自分をどのように意識しているのかちょっと気になる。生後3ヶ月程度の赤ん坊にどの程度の記憶力、認識力があるのだろうか。

 ある医師の調査によると、退行催眠(ヒプノテラピー)では胎内での記憶や分娩時の記憶が沢山出てくるそうです。また、アンケートに答えられる年令になるまで記憶として残っている例が胎内、分娩時共50%前後あるそうです。ということは、胎内で「音楽を聴いて心地よかった」とか「夫婦喧嘩の声が怖かった」とか「分娩時苦しかった」など記憶していて、成長過程の情緒に大きく影響しているのではないでしょうか。それなら、たまに抱っこしてやるとかあやしてやるのも自分を「おじいちゃん」として認識してもらうのにそこそこ役立っているのかな、と思ったりするのである。

 私自身の赤ん坊の頃の記憶を考えてみた。一番古い記憶としては、「寝かされている時に飛行機の爆音が聞こえてきて、泣いたら、姉と兄があやしてくれた」というのがある。もう戦争は終わっていたのだろうが、おそらく、空襲で飛行機が来たらおんぶされて逃げ回ったという記憶から不安になって泣いたと思う。終戦が生後9ヶ月目であり、まだ自分で歩けない状況を考えると、この記憶は1歳の誕生日前後と推察できる。その後の幼稚園に入る以前の記憶としては、思い出すきっかけがあれば次々と出てくる。例えば、「終戦直後の為、茶の間の話題に、戦時中母親や祖母が空襲から逃げる時、おむつとミルクだけは忘れないようにしたという話がよく出たが、これを聞いてポロポロ涙を流した。」とか、「近所の子供連中と鬼ごっこをして遊んだが、自分は小さ過ぎて対等に走れないため『ハリボテ』と称して、鬼ごっこの仲間には入れるが、捕まっても鬼にはならないという加わり方であったのだが、楽しくきゃあきゃあ叫びながら走り回った。」とか、「5歳年上の姉に連れられて幼稚園に遊びに行った時、姉が先生と話している間、おもちゃとしてタクト棒を与えられたのをいじくっている内に折ってしまい、どうしょうかと悩んだ。」というような記憶がある。

 よく知っている人の名前も度忘れしたり、昨日何を食べたのか覚えていない高年になったのに、小さい頃の記憶というのはいつまでも無くならず、鮮明に残っているのである。いまだに、夢に出てくる場面が小さい頃の田舎であることが多い。そのため、小さい頃の環境や体験というのは大人になっても無意識の内に大きく影響しているのではないだろうかと思わされる。昨今の青少年による凶悪犯罪の増加は彼らの幼児期の育てられ方の影響ではないだろうか。彼らが成人、中高年になってもその性向が残らなければ良いのだが・・・

 孫には今の内にできるだけ情緒豊かな記憶を残せるようにしてやりたいものである。

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