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★★ 秩父札所巡りをしてきた ★★ 2010年04月09日

 秩父札所というのは秩父34ヶ所に点在する観世音菩薩を祀ったお寺のことである。もともと札所はその名のとおり、巡礼の証として、また様々な思い、願い事を込めてお堂に木札を打ちつけ、納める場所であった。現在は、木札ではなく紙の札に代わって納めるようになった。信仰の対象として、長い歴史と風説の中に息づいてきた札所は様々な願いをこめて巡る巡礼者の心の拠所として栄えてきたものである。

 筆者はこの秩父札所巡りを2010年3月27日に1番〜17番、2010年4月8日に18番〜34番と天気・気候の良い日を選んで、2日で34ヶ所の札所全部を番号順に巡り終えた。5日〜7日ほどかけて歩いて巡るのが本来のかたちなのであろうが、全行程100kmと大変そうなので、さいたま市自宅から車日帰りで巡った次第である。すべての札所には数台〜数十台分の参拝者用駐車場が設置されており、駐車場の心配は全く無い。しかし道路は狭く大型バスは入れないし、普通車でもロング車体では1回では曲がりきれそうもない角も多い。車で巡る場合は普通は3日かけるそうで、2日というのは正に駆け巡る感じで、あまり余裕はなかったが、車のナビを使ったのと案内標識もよく設置されているので、あまり道に迷うこともなく、比較的スムーズに目的のお寺に辿り着くことが出来たものである。

 筆者は別に仏教の信者ではなく、むしろ宗教というものは嫌いである。子供の頃から仏教は生活慣習の一部として受け入れてきただけである。葬式に黒服を着て数珠を持って焼香をするのも単に慣習として行っているということである。ならばなぜ札所巡りをしたのかというと、家内が知人から秩父札所巡りをしたという話を聞いてきて、行ってみたいと言うので付き合っただけである。付き合って行って何もしないのでは変なので、一応札所巡りの常識的な作法だけはやってきた。
 1.お寺に入る際に門で合掌する。
 2.境内の入り口にある水屋で、口をすすぎ手を洗う。(お寺により、水が出なかったり、不潔そうならやらない)
 3.鐘楼で鐘を撞く。(自由に撞けるところのみ・・・2,3ヶ所)
 4.お札や写経を納める。(準備していた場合)
 5.鰐口を鳴らす(神社のガラガラのようなもの)
 6.お賽銭をあげる。
 7.お灯明と線香をあげる。(状況により、線香だけとか、マッチかライターが置いてないと線香もあげない場合もある)
 8.般若心経を読経する。
 9.何か願い事があれば、合掌しながら念じるか口に出して言う。
 10.納経所で納経帳や納経軸に朱印と墨書をいただく。(必須ではないが、参拝の証しとして残せる)
 11.お寺を出る際に門で一礼する。
最低限であろうが、これだけの作法を一通りやると、それなりの費用もかかる。 納経帳は1000〜1500円、朱印と墨書は300円、賽銭は100円(1円、5円、10円も多いが)、線香・ろうそくは10円〜50円(持参も可)・・・1ヶ所あたり一人500円程度。34ヶ所と2回往復の高速代やガソリン代その他雑費を合わせると、2人で4万円ほどかかったことになる。まあ1泊2日の普通の旅行1回分程度なので、高くもなし安くもなしといったところだろうか。

 後半の4月8日は丁度サクラが満開でどこのお寺も枝振りの良いサクラがきれいに咲いており参拝だけでなく花見も同時にできた次第である。しかも、花まつり=お釈迦様の誕生日でもある。お寺では誕生仏の頭からひしゃくで甘茶をそそいでお参りする。また、甘茶もふるまわれ、昔懐かしい甘茶を味わった。お坊様の話ではキリストの誕生日はキリスト教徒でもないのに大騒ぎするのに、お釈迦様の誕生日は仏教徒が多いはずなのに廃れる一方であるとのこと。花まつりには昔は大勢の子供が来て甘茶が足りなくなることもあったとか。でも今では花まつりだからといって来る人も殆ど居なくなってしまった。と嘆いておられた。

 全札所を巡り終えて感じたのは、これは先人の考えた健康法ではないかということであり、その健康法は現代社会でも立派に通じるものであるということである。まずは歩くという基本的な運動を適度に行うこと。徒歩で巡れば、毎日20km歩き5日間続けると、異所性脂肪などの病気の原因は消えてしまうし、体力も付くことでしょう。たとえ車を使っても駐車場から観音堂まで歩くことになるし、特に31番観音院では石段をかなり登ることになり、ちょっとした山登りになっている。そして神仏に願い事をすることと、お寺の佇まいや田舎の風景を見ることによる心の癒しによってストレスは解消される事になる。適度な運動とストレス解消は生活習慣病の予防にも治すにも最良の方法である。しかも、34ヶ所総て巡り終えれば、高山に登ったと同じような達成感も得られるのである。般若心経を大きな声で唱えれば、これまた呆け防止になりそうである。巡礼の証しとなる納経帳は正に書の芸術作品で死ぬまで取って置きたい物でもある。時々取り出して観れば、巡礼当時を思い出してまた心癒されることになる。巡礼をしたことにより体調が良くなれば、「観音様のごりやくがあった」と周りの人々に伝えられて評判が広まったのであろう。大昔から伝統的に伝わってきたこのような行事は単なる宗教行事ではなく、科学的にも立証できるそれなりの結果があったのだということではないだろうか。

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