戻る コラム一覧 山写真紀行

★★ 旅行の記録は残しておこう ★★ 2009年06月08日

 先日、6月2日に天気が良かったのでミズバショウを楽しもうと鳩待峠から尾瀬ヶ原へ行った。尾瀬ヶ原へ行くのは31年ぶりである。前回は1978年7月だったと思う。行った年数は間違いないが、月は6月下旬か7月かあやふやである。年数が確かなのは、まだヨチヨチ歩きの長男を負んぶして歩いたことを覚えていたからである。3っつ違いの次男がまだ生まれていない夏と言えばこの年しか有り得ないから断定できるのである。行った月については、鳩待峠から下って行く途中ミズバショウの大きな葉が在ったこと、そこで子供を負ぶったまま滑って尻餅をついた記憶から、ミズバショウの花が終わってかなり経過していたようだということである。

 この時は事前に周到な準備をして行ったのではなく、前々日あたりで「天気が良さそうだから尾瀬へでも行くか」という程度で前夜に車で浦和の自宅を出て行ったと思う。関越自動車道はまだ東松山までしか開通していなかった時代であるので、夜中に走ってもかなり時間を要したはずである。鳩待峠へはマイカー規制が始まったというニュースを聞いていたが、行ってみるとゲートも無く、規制には遭わず、まだ暗い内に鳩待峠に到着してしまった。しかし駐車場は既にいっぱいで、駐車場脇のスペースに辛うじて駐車できたのであった。明るくなってから歩き始め、竜宮小屋まで往復したものである。休憩時に息子を歩かせていると、来る人みんなが「わー小さいのに元気だねー」などと声をかけてくれて、息子は得意げに(親も?)なっていたものである。

 今回、31年ぶりの同じコースを歩きながらこんなことを懐かしく思い出したのであるが、当時はカメラも持って行かなかったし、日記を書いてもいないので全く記録が残っていない。残っているのは筆者と家内の記憶にだけである。おそらく1歳10ヶ月ばかりであった息子には記憶も無いであろう。当時山ノ鼻にビジターセンター等の建物があったかどうかは全く思い出せない。竜宮小屋については山小屋があり、イワツバメが飛び交っていた記憶はあるが、小屋の位置が記憶とは全く異なる。おそらく建て替えられたのであろう。風景の記憶になると、湿原と木道と周囲の山並みのぼんやりとした記憶だけである。折角時間と金を使って当時としては大登山旅行をしているのに、その時だけの感動で終わってしまったのでは「勿体無い」気がしてならない。せめてカメラでも持って行っておれば、後でアルバムを見て、前後の記憶まで鮮明に蘇えらせることも出来たものであろうが・・・。

 その反省からということでもないが、今回は筆者は高倍率ズームレンズと超広角レンズを付けた2台のデジタル一眼レフを持ち、家内も7倍ズームのコンパクトデジカメを持って行った。そして後で数えてみると1200枚もの写真を撮ったことになる。何と平均30秒間隔で撮っているのだ。デジタルなのでEXIFデータに日付や時間が記録されており、複数カメラの結果もパソコンの同じフォルダーに入れれば、撮影順に表示できるので、まるで全行程をビデオで記録したのと同じような感じである。これを見ることによりその時の感動を鮮明に思い出せるのである。さらに、この写真をホームページやブログにコメント付きで載せておくと、いつでもどこからでも自分の記録として見て想い起こすことができるだけでなく、他人にとっても情報として使ってもらえるので一石二鳥である。

BACK