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★★ ネット時代の人の能力 ★★ 2008年07月05日

 人の能力を判定するのに試験が行われる。学校に入るには入学試験にパスしなければならない。会社に入るには入社試験にパスしなければならない。役人になるには公務員試験にパスしなければならない。これら試験の大半は未だに知識の多さを調べるものである。ところが今の実社会では「知識」だけならネット検索すれば瞬時に出てきて調べられ、その場で覚えることもできる。

 例えば、日本史の試験で「鎌倉幕府開幕は何年か?」という問題に対し、答えの1192年を覚えるのに「いい国造ろう鎌倉幕府」と暗記したものである。しかし、このような正確な年数は知っていなくても、ネットで「鎌倉幕府」を検索すれば瞬時に出てくるものである。本当に知っているべきは奈良時代→平安時代→鎌倉時代→室町時代→安土桃山時代→江戸時代といった程度の日本史の大まかな流れ程度で充分なのである。これ以上のことを知っていても知らなくてもおそらくどんな仕事をするにも支障は無いだろうし、知る必要が出てきたらその場でネット検索すれば済むことなのである。

 大学で学生に論文を書かせるとネットからコピペされた論文が多いそうだ。総てがコピペというのは論外であるが、論文の目的を理解した上で、ネット上の多くの他人の考えを参考にして自分なりの考察を加えて論文にまとめたとすれば、それはそれで立派な論文であり、一部にコピペが混ざっていたとしても、引用の仕方の問題であって、次回から改めれば済むことである。この論文を書くという教育目的は充分達成され、学生自身の能力も高まったことであろう。

 受験時に携帯でネット検索して答えを知るというカンニングの件が取り上げられることがあるが、受験の時間内にネットで調べて答えが出せるなら、それはそれでその人の能力であって、知識として知っていて答える人と結果は同じなので、人の能力として同じとみても良いのではないだろうか。本当に人の能力を判定する試験なら、ネットで簡単に調べられるような試験問題を出す方が間違っているのだ。

 では、このネット時代の人の能力とは、何なのだろう。判定基準といったものは無いかもしれないが、端的に言えば「稼げるかどうか」であろう。会社の中で言えば、営業なら売上、技術なら開発、事務職なら仕事のスピードと正確性であろう。これらの仕事は当然ネットは使い放題の中である。では何が能力の差になるかと言えば、「正しい情報の収集能力」と「将来への判断力」そして「実行力」ではないだろうか。ネットに限らず世の中に情報は溢れかえっている。正しい情報も間違った情報もいっぱいある。その中から正しい情報を選んで収集し、それを基に将来を正しく予測し、それにはどうすればよいかを考えて実行に移す。これだけの能力があれば、充分稼げる仕事ができるのである。たまたま入った会社にその能力を発揮するだけの環境が無かったというようなハンディはあるかもしれないが、今の時代は会社を選ぶにおいてもネットをフル活用する時代なので、会社を選ぶのもその人の能力次第ということになるものである。すなわち、「ネットを活用して、成果をあげられる。」のが能力である。逆に「いくら知識が豊富でも、ネットを活用できず、成果があげられない。」なら能力は無いのである。
 「知識≠能力」である。

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