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★★ ウェブ学のすすめ ★★ 2008年06月07日

 何かを学びたい場合、「学校に行く」というのが常識である。小学校〜大学というのは子供が社会に出るまでの「学びの場」として国家により設けられた制度であるが、社会人になってから何かを学びたいとか学ぶ必要が出た場合はどうすればよいのだろうか。これも「専門学校」など多くの「学校」があり、これに通えばそこそこの知識や技術を学ぶことができる。筆者も若かりし頃アメリカ出張を命ぜられ、慌てて「英会話学校」に通ったりしたものであった。

 学校に行けない場合に「独学」というものがあるが、これは非常に大変で苦労するものである。かつての「独学」の手段は「本」や「雑誌」しか無かったのであるが、本探しから始めることになるのである。筆者が約30年前にパソコンを始めたのは正にこの独学であった。パソコンを買ったのはよいが、使い方がさっぱり判らなかったのだ。当時のパソコンには何もソフトが付いておらず、正に「ただの箱」で、自分でBASICプログラムを作らない限り、全く動いてくれなかったのである。本屋に通い、立ち読みし、役立ちそうな本が見つかれば買い、自分に合っていそうな月刊誌を買い、その中のプログラムを打ち込んで動かすというようなことで学んだものである。周りを見渡してもどこにも教えてくれそうな人は居なかったので、「独学」しかなかったのである。ここまでさせる「独学」の推進力は「興味」だけであった。

 インターネットのウェブ(ホームページ)が発達した現代では「学ぶ」手段がひとつ増えて「ウェブ学」(筆者の勝手な命名)というものが使えるようになった。筆者の以前のコラム「60の手習い」にも書いたように「JAVAによるウェブプログラミング」を学んだのもこの「ウェブ学」であるし、この「山写真紀行」サイトの「写真」も「ホームページ作り」も「ウェブ学」で学んでいる。「ウェブ学」も「独学」のひとつであろうが、以前の「独学」と比べて、「本を探す」という苦労は不要で居ながらにして必要な情報・教材は入手できるのである。しかもメールや掲示板を通じてのQ&Aも可能なので通信教育的な要素もある。一部に会費を払って入会しなければ使えないサイトもあるが、大半は無料である。「ウェブ学」の推進力も「興味」だけであり、「興味」が無くなれば、そこで「終わり」になる。誰にも強制されない(中には家族や会社から強制されて勉学を始める方もおられるかも知れないが、現時点でウェブだけでの勉学が家族や会社から強制される例は殆ど無いと思われる)のでいつ止めてもよいのだ。しかし、折角「興味」を持って始めるのであれば、途中で止めることなく、まあまあの達成感を得られる段階まで「学び」を進められることをお勧めする次第であり、ここに挙げる筆者なりの「コツ」がお役に立てば幸いである。

 「ウェブ学」の第一段階は、まず「興味」を持つことから始まる。上にも述べた通り、唯一の推進力は「興味」である。これを持たない事には何事も始まらないのだ。日常生活の中で、テレビを観ていて、あるいは新聞を読んでいて、あるいは誰かの行動を見ていて、「お!何か面白そうだな」と思った時が「ウェブ学」の始まりとなる。その「面白そうな」内容についてインターネットで検索してみよう。GoogleやYahooで検索すれば、おそらく、無数の記事がヒットされるだろう。その中から適当に面白そうな記事や読み易そうな記事から読んでゆけばよいのだ。

 しかし、その記事を読み始めるとすぐに気付くことがある。たとえそのサイトが初心者向けに丁寧に易しく作られていても、その「ウェブ学のテーマ」の専門性が高ければ高いほど、専門用語が出てきて意味不明=理解不能に陥るものである。判ったつもりで読み進めていると、もう興味どころか、何がなんだかさっぱり判らず、読んでいるのか居眠りしているのかすらわからない状態になる。

 そこで、この専門用語の具体的な意味、内容の理解が第二段階の突破口になるのだ。判らない用語が出てきたら、「〜とは」で検索してみよう。この「〜とは」というのは便利な検索キーとなり、懇切丁寧な解説記事がヒットしてくるものである。何か実践できる「ウェブ学」なら実践してみよう。プログラミングのウェブ学なら「Hello Worldプログラム(画面にHello Worldと表示するだけのプログラム)」を作ってみることだ。写真のウェブ学なら説明に従ってデジカメで撮ってみることだ。デジカメは理解を深めてから買うつもりなら携帯電話機のカメラでもよいのだ。やってみれば専門用語の意味は体が理解してくれるもので、言葉で説明できなくても、頭の中ではすっきりした形で理解できてくるものである。

 この用語の理解という段階が突破できると、後は興味が興味を呼ぶ形でどんどん先への興味が沸き、またどんな記事を読んでもはっきり理解できるし、不思議とその後に登場する専門用語もさらりと理解できてしまう。さらには記事の裏も読めるようになるものである。

 あるひとつの分野に関するウェブサイトでも無数に存在する。始めの内は手当たり次第に読んでいくしかないが、ある程度その分野の知識がついてくると、サイトの良し悪しの判断ができるようになる。そうなれば、良いサイト、役立ちそうなサイトだけを選んで読んでいくことができる。Q&A掲示板などで、無責任な回答をよく見かけるが、これは無責任回答を趣味にしている一種の「掲示板荒らし」であり、こんなものはサラリとすり抜けるようにしよう。

 そして、本当に役立つサイトを見つけることが 「ウェブ学」の第三段階となる。数あるサイトの中でも本当に役立つサイトと言えるのはほんの数個くらいしか存在しないものである。ただ、本のような解説を掲載し、全く更新していないサイトもある。こんなサイトは1度読めば終わりである。解説記事が世の流れに応じて常に更新されているサイトが好ましい。少なくとも週に一度は更新されているようなサイトが良い。掲示板とかメールで相談をもちかけることができ、これに回答してくれる「先生」になってもらえれば最高であろう。こんなサイトを「お気に入り」に登録して、毎日見ているだけで充分勉強になり、いつの間にか自分自身が「その道の通」になってしまっていることに気づくのである。

 これで勝手に「免許皆伝」してもらって、今度は自分自身が「教える側」に立ってウェブサイトを開いて世のため人のために役立っていくのもひとつの道であり、「ウェブ学」の第四段階となる。「え?免許皆伝なのにまだ学ぶの?」と思われるかも知れないが、「学び」に「終わり」は無いのだ。「教える側」に立って教えようとすると、自分はさらに上達していなければ「教える」ことはできないものである。「教える側」のサイトを立ち上げればこれを維持運営するのにさらに上位の知識能力が必要で「学ぶ」ことは絶えないのである。

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