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★★ 金が無くても ★★ 2008年05月24日

 ウェブの中から次の一節を見つけた。「財力があっても工夫が足りなければ満足することはできませんが、金が無くても毎日新しい発見があれば楽しく満足した暮らしができるはずです。楽しく面白い人生を送るためには財力よりも発見力が重要だと思われます。」増井俊之の「界面潮流」第18回 発見人生より

 おお!これこそ金の無い筆者の今後にぴったりの言葉である。

 金持ちの人生の楽しみ方というのは何なのか、自分とは縁遠いがテレビなどの情報から想像してみた。まずは豪邸だろう。高級住宅街に何億何十億もかけて広い土地に大きな家を建てる。しかし、そんな豪邸に一人や二人で住んでいても、部屋が大き過ぎるとまわりがスカスカして落ち着かない気がする。では次はというと風光明媚な観光地の別荘か。でもいくら風光明媚な場所でも1ヶ月も過ごせば、観るべき風景は総て見尽くして飽きるだろう。ならば、高価な旨い食べ物を食べるというのはどうか。これも同じ物を食っていたら飽きるだろうし、高価な食べ物と言っても数あるわけではないし、そんなものばかり食べておればたちまちメタボリック症候群になってその内健康を害するのが見えてくる。その次はというとやはり旅行だろう。国内旅行も海外旅行も旅行社の企画する旅行では、何度も行けば同じパターンになってその内飽きてくるだろう。彼の言うとおり、工夫が足りなければ、いくら金をかけても数年で人生に飽きてしまいそうである。これは貧乏人のやっかみの考えであり、金があって工夫した毎日の発見がある暮らしができれば最高であろうことは言うまでもない。

 そこで、金が無いけど、工夫した毎日の発見がある暮らしとはどんなものがあるだろう。工夫があって毎日の発見ということは無限の変化に富んだ暮らしということになる。おそらく書ききれないし、考え尽くせないくらいの可能性があるということになるのである。筆者のような貧乏人では食事にしても、「旨かった」というよりも「安かった」という方がより満足が得られるのである。いつだったか「新婚さんいらっしゃい」にこんな考え方の変な亭主が出てきて「『安い』が『旨い』んだ」と言っているの見て「そうだ!そうだ!」と妙に同調したことがあった。筆者も東北の方を車で旅行していた時、「芋煮会」というのがあり、丁度昼時であったので、寄ってみた。地元の青年会のような人達がボランティアでやっており、一杯百円だった。安いのでお代わりして二百円で昼食を済ませることができた。これなんかは味はまあまあといったところであったが、安く昼飯を済ませることができて大満足であった。これは「安そうな芋煮会」の発見で満足が得られたのである。

 この逆もあった。旅行会社のバスツアーで高級レストランへ連れ込まれたりすると、メニューはどれもこれも数千円もするものばかり。一番安いものを注文するのもかっこ悪いので、周りの人達の様子も伺いながら、そこそこのものを注文することになる。そんな時に限って大して旨くない。実際はそこそこ旨いのであろうが、値段と比べた割には旨くないということだ。コストパフォーマンスが悪いと満足は得られない。これは押し付けられたレストランであって、工夫も発見も在り得ないのである。

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