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★★ 野鳥向け餌台の是非 ★★ 2006年12月10日

 デジスコ関係の写真投稿サイトで、冬季の野鳥向け餌台での撮影作品の是非について大論争がなされていた。餌台にやってきた野鳥の写真がそのサイトの自主規制規程「餌付けやストロボ使用など野鳥にストレスを与える方法で撮影した写真」に抵触するとのことで削除要請されたのがきっかけである。「冬季の庭先の餌台は餌付けではない」という意見と「自宅に庭の無い人が公園などで類似行為(=餌付け)をする危険性がある」というのが対立した争点である。勿論撮影のためにミルワームを置いたり、ザルに入れた魚で野鳥をおびき寄せるのは絶対許されるべきでないのは当然のこととして以下を述べる次第である。

 筆者は以前に「野鳥観察場所を明かさないことの是非」というコラムで取り上げた時と似た感覚を感じた。その感覚はバーダーの「野鳥の独占」という感じがしてならない。「野鳥観察場所を明かさない」ことと通じるものを感じてしまった次第である。自分の観察した珍しい野鳥を観ることが出来る場所を他人に荒らされたくないという感情と似て、何か「ズルをしてきれいな野鳥写真を撮っている」という感情があるように思えてならない。「自分は朝早く起きて重いデジスコを担いで遠方まで出掛けて、長時間待ってやっとのことで撮っているのに、自宅でコーヒーでも飲みながら同等以上の写真を撮って掲載されたのではたまらない」というのが本音ではないだろうか。筆者も長時間かけて遠方まで出掛けたのに1枚も撮れなかったという苦い経験も多い。ところが最近隣の柿の木にやってくる野鳥を部屋の中から撮れてしまい、一体あの苦労は何だったのだろうと思ったりもした。

 一番重要なのは、その行為が野鳥にとって良いことなのか悪い事なのかであって、写真を撮る人間が楽して撮ったか苦労して撮ったかは関係無いことなのである。極端な言い方かも知れないが、野鳥にストレスを与える行為がすべて駄目と言ってしまえば、野鳥観察や撮影の全てが駄目ということになるのである。先日筆者が公園で50mほど離れた位置からデジスコを使って撮ろうとしたが、野鳥側は警戒して逃げてしまった。これも野鳥にストレスを与えたことになり「悪い事したな〜」とちょっと反省もしたのである。デジスコだから大丈夫と胸を張ることはできないはずである。

 結局は程度問題であって、ストレスをおかけしますが、少々我慢してくださいと野鳥さんにお願いしながら撮らせてもらう『気持』の問題であろう。「野鳥の身になって」物事を考えると、冬場の餌台は度が過ぎなければ決して悪ではないと言える。本来なら、冬場もセイタカアワダチソウやイネ科雑草の実が野鳥の餌になるはずであったのが、公園の整備事業としてすべて刈り取られてしまうのである。それを補完する意味での餌台なら野鳥向けの福祉行為として歓迎されるべきことであろう。餌台設置は費用もかかることであり、度が過ぎるほどになるとは考えられない。その餌台にやってきた野鳥を観たり撮影しても別にどうってことはないことである。

 冒頭の論争は野鳥の身になっての自然保護はそっちのけの『撮影者のやっかみ論争』と筆者には感じられた。人工の水場はどうなのでしょう?→多少自然破壊しているが、良しとされている。天然の水場でも人工の止まり木が設置されているのは?→野鳥にとっては便利であろうが、悪とされている。

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