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★★ 度忘れが多くなりましたね ★★ 2003年06月10日

 私は元々人の名前はなかなか覚えられないたちであったが、50歳を超えたあたりからよく知っている人の名前も出て来ないという事が多くなってきた。一般に『度忘れ』と言われ、「えーとあれだよ」とか「えーと彼だよ、背の高い、目つきのきつい」など代名詞や人の特徴で説明しようというのが多くなる。歳のせいと一蹴し、笑い話のネタにされてしまうがどうだろうか、とちょっと考えてみた。

 度忘れで多いのは固有名詞で人の名前、私の場合人の名前は勿論、山の名前、鳥の名前が出てこないことも多い。名前が出てこないのは決まって同じ名前で引っ掛かることが多い。少し前、「ムクドリ」の名前が出てこなかった。外へ出るといつでも何処ででもムクドリは見掛ける。ところが、あの鳥の名前はなんだっけかな?いくら考えても出てこない。姿形鳴き声はよーく知っているのに、名前だけが出てこない。しばらく経ってからそうだ「ムクドリ」だったと思い出す。
会社で朝人に会って挨拶したが、名前はなんだったかな?電話がかかってきて、メモを書く時、あれ!彼の名前は?と出て来ない。勿論名前はよーく知っているはずで、どの部署のどんな仕事をしている人かも分かっている。こんな時は、端末機でその部署の社員名簿一覧を出してみれば、あーそうだ鈴木一郎君だったという具合に簡単に思い出すのである。

 『度忘れ』は英語ではtip of the tongueと言われ、日本語の「喉もとまで・・」とそっくりである。覚えているのだが出て来ない。という良性の老人性記憶障害とのこと。これに対して悪性の老人性記憶障害はアルツハイマー型老年痴呆である。アルツハイマー型は怖いが、『度忘れ』は良性で、誰でも年をとれば起るので心配はいらないと言われている。心配いらないと言われても、実際問題名前が出て来ないと不自由であり問題である。場面にも依るが、人前でスピーチをしている時に人や物の名前が出てこなかったら、大恥をかいてしまう。となると、スピーチや講演などとんでもないと引受られないことになってしまう。

 度忘れのメカニズムにいろんな説があるが、ここで私の説を披露しておきたい。とは言っても私は医者でも学者でもないので、説の根拠は何もなく私の思いつきであるので、まじめに信じないでいただきたい。私の思いつきは、想起における右脳と左脳の関係ではないか。人の名前、物の名前は左脳で記憶している。ところが、人の顔形、声、物の形などイメージは右脳で記憶している。当然物理的に右と左に分かれているのだ。目で見たり耳で聞いたりした感覚は右脳の記憶と結びつき「見たことがある」とか「聞いたことがある」と分かるのである。そこで、その右脳記憶から左脳にある名前の記憶を引き出すのであるが、この時に何らかの障害が存在すると出て来ないのである。老化のため脳神経細胞のシナップス結合が切れてしまったのかも知れない。脳細胞は毎日何十万個も死んでいるというから仕方が無いことである。連想のための別のルートが残っておれば、そちらのルートから接続できるかも知れないが、視覚、聴覚からの直接ルートだけから思い出そうとしても駄目なのだ。しばらく別の事をしていると、別ルートから接続できて思い出すのである。そこで、もう一度しっかり接続し直すと出てくるのであろう。しっかりしたシナップス結合が出来上がってしまえば、もう一度その脳細胞が死ぬまでの間は名前はすぐ出てくるのだ。上述で私がなかなか思い出せなかった「ムクドリ」の名前は今ではすぐ出てくるようになった。でもまた別の固有名詞が出て来なくなっている。

 度忘れを防ぐ方法はあるのだろうか?ということになると、上述の私説からすれば、度忘れしやすい固有名詞はイメージから名前を連想するための接続ルートをしっかり強いものにしておくか、多くのルートを作っておくことではないだろうか。顔のイメージ→名前 だけでなく、イメージ→目つきが怖い→名前、イメージ→鼻のほくろ→名前 などである。
脳は使えば使うほど活性化すると言われている。好奇心を持って色々考えたり、本や新聞を読んだり、文章を書いたり、旅行したり、会話したり、指先を使ったりして、ストレスは避けるようにすれば度忘れは少なくなるそうです。また、脳細胞は死ぬ一方だと言われていたが、増えることもあるという説もある。どんどん使えば、新しい脳細胞が増えてくるかもしれない。定年になって仕事を引退しても、脳を活性化する趣味をもって、いつまでもボケないでいたいものですね。私の趣味は外出して、花や鳥や虫、風景の写真を撮り、パソコンで整理し、インターネットで花や鳥や虫の名前を調べ、ホームページを作り、少しばかりですが文章を作って掲載する。一応、脳を活性化する要素のかなり多くをやっているのだが、足りないのでしょうかねえ。

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