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★★ 時間をアナログ時計で考えるのはなぜ ★★ 2006年09月30日

 我々高齢者は小さい頃に時計の見方を教わった時から時計とは丸い文字盤が12等分され長針と短針のついたものであった。デジタルという言葉が出現してからは数字で時と分の間に:の付いたデジタル時計というものも使われるようになった。

 筆者は今デジタル式電波時計の腕時計を付けている。デジタルが好きなのではなく、アナログ式は高くて買えなかったというだけである。目覚まし時計もデジタルである。どうもすっかりデジタルに浸ってしまっているように思える。ところがそんな筆者も時間を考える時は必ずアナログの文字盤を頭に浮かべて考えてしまうのだ。

 朝という感覚は時計の短針が6〜10時くらいにあるのをイメージしており、この間にあれば、人に会った時の挨拶は「おはよう」で11〜16時くらいは「こんにちわ」である。人に出会った時、不思議と瞬時にこの時計が頭にイメージとして現れ、短針の位置で判断し、0.1秒ほどの間に判断して挨拶の言葉を交わしているのである。廊下の曲がり角で人と出会った時これをデジタルのような数字で判断し、「今は確か9時頃だから6時より後で10時より前だ。それなら挨拶は「おはよう」だ。」なんて考えていたら、挨拶の言葉が出た時には数mも行過ぎていて挨拶にならないだろう。人間の頭脳は数値処理よりもイメージ処理の方が得意なのである。

 何かの会合に出掛ける時の開始時間のイメージもアナログ時計であって決してデジタルではない。開始時間まであと何分という計算もアナログ時計を頭に浮かべて文字盤での長針や短針の位置関係でその幅の大きさで、計算しなくてもイメージで捉えているのである。

デジタルの腕時計を見る場合もなぜか一旦アナログ時計に置き替えて見ている。開始時間が10:00で今が08:45なので10:00−08:45=01:15のような計算はしていないのである。時間は60進数なので計算しにくい。

 デジタルの方が多くなった今の若い人は数字で時間をみているのであろうか、機会があれば聞いてみることにしよう。

 時間という概念は人間が考えたものであり、60進法にしたのは太陽や月の動きとの関係がしっくりしたかららしい。12進法や60進法というのは2,3,4,5,6,10,12,15,20,30で割り切れるという実に合理的な数え方であり、3で割り切れない10よりは生活上ずっと有用であったのである。

 仮に時間を10進数とし、1日を10時間、100分が1時間100秒が1分としてみたらどうであろうか。そうすれば1日の秒数は10万秒、今の8万6千400秒と大差なく、繰り上がりなどを伴う計算は楽かもしれない。しかし日常生活では時間の足し算、引き算はあまりなく、むしろ割り算が多いのである。1日を3等分して1/3を睡眠にしようとすると、割り切れないので何時に寝起きすればよいのか困ってしまう。4等分にしようとする時も2.5時などと端数が出てしっくりこない。時計の文字盤が1〜10になっていたら、1/3にもできなければ1/4にもできない。半分の次が1/5では間が大き過ぎるのである。

 時間の12進法、60進法は紀元前2000年頃にバビロニアで考えられたというが、実にすばらしい考え方であったといえそうである。時間を考える時、12進法、60進法の時計文字盤をイメージするのは10進法以上のこのような合理性があるからではないかと再認識させられた次第である。

 もしも手の指の数が6本だったら、物を数えるのも12進法、時間も12進法という非常に合理的な世界が出来ていたかも知れない。もしも、月が32日間で地球を回り、地球が太陽の周りを512日で周り、人間の指の数が4本だったとしたら、考え方がコンピュタと同じになり、人類の科学の進歩は数倍早かったかも知れない。もしもを言っていたらきりがないけどね・・・

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