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★★ 吉野山も ★★ 2006年04月21日

 先日、かの桜で有名な奈良吉野山へ行ってきた。山全体が桜に覆われた名勝であり、平安の昔から桜の名所であって、よく短歌にも歌われている。

  朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里にふれる白雪
  み吉野の山の秋風小夜ふけて 故郷寒く衣うつなり
  吉野山みねの桜やさきぬらん麓のさとににほふ春風
  吉野山こずゑの花を見し日より 心は身にも添はずなりけり
  吉野山谷へたなびく白雲は峯の 桜の散るにやあるらん
  吉野山こぞの枝折の道かへて まだ見ぬ方の花を尋ねむ

 ここに書ききれないほどある。これらの短歌はどれもうまく情景を詠み込んでおり、筆者が行った時も桜と共に谷にたなびく白雲が美しかったのである。

 これだけ有名な場所だけに、桜の季節は観光客も多く、小雨という天気にもかかわらず混んでいた。

 筆者はここには初めて行ったのであるが、写真ではよく見ていたので、行く前の想像では、桜に覆われた山の遊歩道を登っていくのだろうなと思っていた。ところが、実際は遊歩道もあるが、コンクリート舗装の狭くて急勾配の車道があり、みやげ物屋や旅館、民家があって車が行き交っているのであった。お寺や神社は昔から存在したので許せるが、みやげ物屋や民家がなぜこんなところに在るのか、全く目障りである。観光客目当てに建てたのであろう。そのような建物があり、人が住んでいるため、電柱と電線が縦横に走っているのである。電線は電力線だけでなく、電話線やケーブルテレビ線など、太い線や細い線が入り混じって何本も走っている。それに加えて、茶屋なる休憩所があるのであるが、体裁の良い建物ならまだしも、建設現場の足場に使うようなパイプで組み立て、トタンやブルーシートを使っているのである。全く桜に馴染まない存在である。肉眼で見る場合には景色に入り込んでも、無視できるが、これを写真に撮ると風景写真としては使えないものになってしまうのである。一番きれいな桜の谷間にもこれを横切る電線があった。

 ヨーロッパの観光地ではこんな場面は在り得ない。日本人の景観に対する感性はこんなに低いのだろうか。と嘆かわしく感じた次第である。これだけ由緒ある観光名所なら、建築規制などかけて、景観に合わない建物は建てさせないようにすべきである。電線はどこよりも優先して地中化にすべきである。道路にガードレールなどは付けるべきでない。

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