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★★ 私とカメラ ★★ 2002年7月

 私が初めてカメラを持ったのは小学生、5年生だったか6年生(1957年)だったか。スタートカメラというおもちゃカメラで¥500だった。雑誌「少年」の広告を見てどうしても欲しくなり、お年玉で買いに行ったことを覚えている。固定焦点、固定露出で、シャッターボタンとフィルム巻き上げノブしか付いていなかった。晴れた日の屋外でしかまともに撮れなかった。(右はそのおもちゃカメラで撮った私とシロ・・・レンズが粗末なので、解像度もあまく、周囲が流れてしまっている)

 なぜか小さい頃からレンズを持ったものに興味があり、虫眼鏡をいくつも集めて、それを組み合わせて望遠鏡や顕微鏡を作ったりして遊んでいた。しかしまともなレンズの付いたものを持ったのは中学生の時、ヤシカのニ眼レフカメラを買ってもらったのが初めてである。この延長で高校の時写真部に入ってしまい、レンズ交換式のレオタックス(この機種を知っている人はかなりのご年配且つかなりのカメラマニヤ)を中古で買ってもらった。 

 この頃はまだ白黒写真があたりまえであった。写真部で写真の現像・引き伸ばしを覚え、自宅の土蔵に暗室を造って引き伸ばし器や現像用バットを設備し、フィルムの現像から焼き付けまでやったものである。今になって思えば、写真部に居ながら、芸術的な写真というか写真そのものの出来映えには全く関心が無かったようであった。単に画像記録できるとか、絞りと被写界深度の関係とか何か光学的な現象(ゲンショウ)や現像(ゲンゾウ)という化学的な現象に興味があった。撮影会に参加してたまたまきれいに撮れて”銀賞”(最優秀、金賞、銀賞、銅賞、佳作だから大したことはない)を取ったことはあるが。だから大学、以降は仕事など何か必要があって写真を撮ることはあっても趣味として写真をとることは殆ど無かった。旅行やスキーに行ってもカメラを持って行った覚えも無く、そんな写真も残っていない。子供の成長記録はもっぱら家内の役割で、いわゆるバカチョンカメラで撮っていた。で、カメラについては悠に30年以上も空白があった。だから我家に一眼レフカメラは無いし、在ったこともない。

 ところが、デジカメが出始めた時、なぜか無性に欲しくなり、SONY サイバーショットDSC-F1を買ってしまった。固定焦点35万画素のため、記念や記録用に撮ったものをパソコンやテレビで見る程度で、年賀状に写真を入れたりしていた。パソコンで写真を扱えるということに興味を持っていた。その内にデジカメがたちまち進歩してメガピクセルの時代に入り、デジカメ写真が銀塩写真と比べて遜色ないレベルになってきた。そこで1999年8月に手にしたのがOlympus CAMEDIAC2000Zoomである。200万画素のベストセラー機である。これを持った時に昔高校生時代に覚えた写真の技術を思い出し、”きれいな写真”を撮る気が呼び起こされた。A4サイズまでなら印刷でき、3倍ズームがあり、シャッター優先や絞り優先が使えたため、多少は凝った写真を撮ることも出来た。そうすると、人に見せて自慢もしたくなるものであるが、コンテストに出す程の作品ではない。そこで、本職のパソコン技術を活かして2001年5月にホームページを開設し、皆様に見ていただくようにした次第である。その内にデジカメは益々進歩し300万画素、400万画素、500万画素と画素数が増え、レンズ交換式、高倍率光学ズームが出てきた。自分でホームページを開設すると、他のホームページの出来映えも気になり類似のホームページを見て歩くようになり、他人のすばらしい作品を見せつけられ、自分の写真がいかに幼稚かを思い知らされた。だけど、そのすばらしい作品を真似ようにも3倍ズームのCAMEDIAC2000Zoomではなかなか難しい。とは言ってレンズ交換式デジカメは1式揃えると百万円近くになるので到底駄目で、色々探した挙句2002年1月に今のMINOLTA DiMAGE7を買った次第である。このカメラは28mm広角から200mm望遠まで使え、総てにマニュアル設定も可能1式13万円ちょっとであった。このカメラなら、山での風景撮影で十分な広角が使え、また色んな場面でほぼ十分な望遠撮影もでき、何よりも以前不可能であった背景をぼかした花の撮影が可能であり、これまでに「いいな!」と思って見た他人の作品を真似た写真が撮れるようになったことである。これを持って以来、どこかへ出掛ける度に100〜200枚の写真を撮ってきて、その中からよさそうなものを選び、ホームページに載せ、さらに、デジカメや写真を趣味とする人達の掲示板に書き込みをし、評価を受けている。

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