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★★私だけの「プロジェクトX」★★ 2001年4月22日

 最近は「パソコンを使える」というのが会社の仕事を遂行する上で不可欠という考え方が定着してきているようであるが、一昔前まではそうではなかった。パソコンを使うのは一種の趣味であり、そんな趣味を持った人が‘遊び’として使っているという感覚が強かった。

 私がパソコンを持ったのは32歳の時、24年前(1977年)のことである。その 頃は、正に上で述べたように、パソコンは趣味の世界であり、仕事にはとても使えるものでは無かった。プログラムの保存はオーディオ用カセットテープであっ た。フロッピーは世に出てきて間がなくパソコン本体より高価であった。ハードディスクなど考えにも及ばない。使える文字は英数とカタカナだけであった。メモリーは最大で64KB、BASICという今でいうOSが入ると使えるメモリーは半分になった。市販のソフトといえば、その頃ヒットしたゲームセンターや喫茶店に設置されていた「インベーダーゲーム」やゲームウォッチと呼ばれたゲーム機に入っているようなゲームが主で、何か動かすには自分でBASICを使ってプログラム組まなければならなかった。

 その頃のコンピュータと言えば汎用機と呼ばれる大型のコンピュータであった。まだ会社の事務所にもエアコンが設置されていない時代にエアコン完備の部屋を独り占めするコンピュータであった。そのくせ出来る仕事は、10年前のパソコン程度であった。

 そんな時代になぜ私がコンピュータに興味を持ち、その頃の私の給与の2ヶ月分もの高価な‘おもちゃ’を買ったのであろうか。
 私が今の会社に入社したのが1967年である。その頃はコンピュータは一部の大企業でしか使われていなかった。計算はそろばんが主、そろばんの苦手な人は手回し式計算機を使っていた。毎年2回、私の所属していた技術部にも原価計算という計算業務が割り当てられて、総出で1週間程かけて計算したものである。私も加減算はそろばん、掛け算割り算は手回し計算機を使っていた。そんな折当時としては先進的考えを持っていた当時の社長がコンピュータを導入したのである。大学までコンピュータなんて習ったことが無い。「コンピュータを使え」と言われたわけでもないのに私は大いにあせった。導入されたコンピュータは経理業務と原価計算にしか使われなかった。というより、それに使うだけで精一杯でそれ以外に使える余裕は無かったのである。それなのに、私は急いで本屋に走り、コンピュータとは何かという教科書を買ってきて独学の勉強をした。コンピュータは鑽孔テープ鑽孔カードを作るのにキーボードを使っていた。キーボードを使えないとコンピュータは使えない。仕事で英文手紙を書く必要があったのと、字が汚く他人に読めないという理由もあって、個人でタイプライターを買ってきてタイプの練習を始めた。

 そうこうしている内に世に「パーソナルコンピュータ」なるものが出てきた。24 時間稼動しているコンピュータを時間割でしか使えなかった時代に、「個人でコンピュータを使えるようになった」。「よし、これを使えば何でも出来るようになる」そう考えた(実際にはその頃のパソコンはゲーム用のおもちゃで業務に使うには少々無理があった)。私は秋葉原に行きシャープのMZ70B(Z70はザイログ社のCPUの名前、Bはビジネス用の意味)を買ってきた。

 BASICでの格闘が始まった。付属の取り説と市販雑誌のプログラムを入力しては走らせてみた。キーボードはタイプライターで練習済みのため、キーボードの苦労は無かった。その内BASICは自由自在に操れるようになった。たちまち64KBのメモリーは足りなくなった。メモリーを節約できる機械語もアッセンブラー無しで(ハンドアッセンブリング)で使えるようになった。何十時間もかけて手紙の宛名を漢字で印刷して受け取った相手が驚くだろうなと変な満足感を持ったりもした。

 パソコンの第二世代の16bitの時代に入った。NECのPC9800系が出てきた。一式百数十万円もし、個人ではとても手が出なかった。しかし、ようやく漢字も使え、5インチフロッピーを備えておりビジネスに使えるようになってきた。早速当時の部長にパソコン導入を進言し、1 台のパソコンが入った。BASICが役だった。N88BASIC を酷使し、自分の担当する仕事のプログラムを次々作っていった。今度は64MBのメモリーが足りなくなった。

 そしてMS-DOSの時代、32bitパソコンの時代と移り、パソコンも文字通り個人で買える価格になった。私の個人のパソコンも何代目かに移り変わり、パソコンがビジネスに不可欠の道具に至ったのである。10年前の1991年に会社ホストコンピュータがIBMのAS/400に切替られた時、情報管理部長に任ぜられた。それまではパソコンしか知らなかった私が、AS/400というオフコンをも扱うようになり、AS/400のRPG言語も使うようになった。私が使ったコンピュータ言語は、BASIC、機械語、C、d-BASE、RPG、ACCESS、VISUAL-BASIC。

 パソコンが世に現れてからの進歩は著しく、最近はそれがさらに著しくなっている。使う側がそれに合わせるのも並大抵ではない。かってはMS-DOS時代に個人でパソコンを持ちかなり使いこなしていた人がWindowsになってからは、初心者並になってしまい、コピーや削除のファイル操作すら出来なくなってしまったという例も多い。インターネットでのメールやホームページを見るのがパソコンの主用途になったり、写真やビデオ処理が出来るようになると、かってのワープ ロ、表計算主体の頃とはまるで使い方やパソコンに対する捕らえ方が変わってきている。それだけに、その変化について行くのも大変である。経済的にも3年ごとには新しいパソコンと交換し、OSやソフトは2年ごとにバージョンアップしていかないと時代遅れになってしまうので大変な出費である。パソコンは買い換える度に性能が1桁向上しているが、OSやソフトはそれに合わせて肥大化し、ハード向上のかなりの部分を打ち消しているのである。また、なぜか不要な使い方の変更もなされるのである。

 こんな私です。コンピュータの扱いやプログラミングにはかなり年季が入っていますので、その辺の”おじさん”よりは詳しいと自負しています。コンピュータについて、判らないことがありましたら聞いてみて下さい。

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